2021/11のまとめ

Summary

ペットが死んだ話なのでそれなりに暗いのですが、以前こんなことを書きました。

このルーシーの写真はまだリビングの隅で見ることができますし、こどもの国などに行ってモルモットと触れ合うことも多いので、記憶が触発されることも多いと思うんですが、このとき2歳だった娘はかわいがっていた「ルーシー」のことをうっすら忘れ始めているようです。たぶんこのとき千葉に住んでいたことも、ほとんど忘れ始めているんでしょう。

それでも何か引っかかることがあるらしく「なんだっけ?」というもやもやした顔をするのですが、そういった記憶の残酷さというか、当たり前のことに対して、大人時間で過ごしている大人が「一緒にいたじゃん」とか「あんなに可愛がってたじゃん」というのはほとほとおかしな話なので、暖かい気持ちで抱きしめながら、時間はやっぱ進んでるんだなぁと思わざるをえません。

11月はなかなかにハードで、始まる前から乗り越えられないかもしれないことすら覚悟していたのですが、気がついてみれば年の瀬が近づいており、乗り越えられた、乗り越えられなかった、関係なく、時間はいつも僕らを置き去ろうとしています。勝手にスクロールしてしまうマリオのステージをいつも走っているみたいだ。

失うことにできるだけ自覚的になりながら、穏やかに疾走していきたいと思います。

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リモートミーティングで顔を映す抵抗について考えること

エンジニアの多くが数字を半角で入力したがる生き物だと思っているんですが、入力しようとしているドキュメントのフォントサイズが大きくなるにしたがって、エンジニアでも全角で入れる人が多くなっていく、そんな現象をこの前発見しました。こんばんは。

もはやリモートワークなしでは生きられない体になってしまったナァと、そんなことを思いながら書くリモートワークシリーズ第3弾です。前2本はnoteです。

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2021/10のまとめ

Summary

アイキャッチ画像は息子の2歳のものですが、僕自身も今月で39歳になりました。歳を意識するのが誕生日のときだけになってくるので、結構そろそろあやふやですが、おそらく39歳です。体力の衰えや骨格、筋肉の痛みも特にまだ訪れていないので、健康的にはまぁまぁいい歳の取り方なんじゃないでしょうか。

ところで皆さんは自分が死ぬときをイメージしますか?

僕は結構な頻度で「自分が死ぬとき」や「家族が死ぬとき」を意識したり想像したりしてるんですね。というか、「いま死んだら何に後悔するだろう?」という問いというか、感覚は常に脳裏にある気がします。

だからといってジョブスみたいに

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?(もし明日が人生最期の日だとしたら、今日することは本当にやりたいことだろうか?)

みたいな強い生き方をするわけでも、したいわけでもありません。どちらかというとルターが言ったらしい「例え明日世界が滅ぶとしても、私は今日りんごの樹を植える」とか、ゴルバチョフ元大統領の「収穫には立ち会えないかもしれないが、できるだけ多くの種を蒔こう」という言葉の方に感銘を受けています。

宮部みゆきの「誰か」だった気がしてるんですが、自分が死ぬときの後悔として「みかんを買わなかったこと」だったか「りんごを買わなかったこと」だったか、とにかく日常の小さな後悔をしながらキャラクターが死んじゃう描写があって、ある意味すごくリアルだなぁと思いながら少し怖くなりました。

「日常っていつか失われるし大切だよね」ってことを破綻なく分かっているつもりにはなっていたいし、強い暴力や言葉で日常を破壊する人には敏感になります。努力せずケンカ別れ上等みたいな考え方はできず、いま玄関を出ていった人にはもう会えないかもしれない、と常に思って家族を送り出したいと思っています。

そうじゃなかったら、それって死ぬ瞬間に絶対後悔するよね?って思ってしまいます。よく言うんですけど、「いなくなってから大切だということに気がついた」というのは想像力の欠如だと思っていて、自分や他人に対して、そうならないように気をつけたいなぁと思っているのです。

軽んじすぎることなく、重んじすぎることなく、日常を淡々と大切に、「あいつに出会えて人生ちっとは良くなったなぁ」と葬式で言ってもらえるような、そんな人格になっていきたいと39歳は思っています。

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2021/09のまとめ

人の「適性」とは何か、を考えるシーンが多くなりました。

自分のこともそうですし、子どもたちのこともそうですし、立場上、仕事仲間のことも考えることが多くなりました。そういうことを考えれば考えるほど、思い出すのがB’zです。

僕はB’zでいうと「さまよえる蒼い弾丸」や「今夜月の見える丘に」が好きで、それをカラオケで歌いたいとずっと思っていました。「LOVE PHANTOM」とかも歌いたいです。そこで、歌えるようになるにはと考え、ボイトレに通っていた時期があります。

ですが、意気揚々とボイトレに臨んだ僕に課題曲としておすすめされたのは平井堅でした。平井堅もなかなかの高音でなかなかに難しい歌い方をしてますが、こう、B’zとは違うだろう、僕のやりたいロッケンロールじゃねぇだろう、と思いました。どうにも声質が合っていると考えられたようです。

そこで僕が学んだこととは「やりたいものと、合うものと、できるものは違う」ということです。ボイトレは引っ越しで行けなくなってしまったのもありますが、続けることができず、当然平井堅も歌えることなく、カラオケが多少うまくなっただけで終わりました。

「やりたいもの」は意思の域なので、人によっては本当に難しかったり、簡単だったりするでしょう。僕なんかはやりたいことがそこそこ出てくるので、「やりたいことがない」というよく聞く言葉は本当かな?とか思ってしまいます。

「合うもの」が僕の思う適性の域です。何が合っているかは分かりません。例えば平井さんを勧められた僕は声質が合っていたのかもしれませんし、ノリのタイミングが合っていたのかもしれません。他の例えで言えば、長距離走が合っている人はスタミナがつきやすいのかもしれませんし、コンビニのバイトが得意な人は夜型なのかもしれません。

「できるもの」は能力の域です。これは厳然とその時点で「できる」か「できないか」です。僕はあの時点で稲葉さんのように飛び出しちゃうことができませんでした。一流の寿司職人がプロ野球選手をなかなかできないでしょうし、5歳児に宇宙船開発はなかなかできないでしょう。

で、この3つがどのような関係になっているか?を考えてみてください。面倒なんで図は書かないすけど、三角形の頂点にこの「やりたいもの、合うもの、できるもの」があって、そのバランスで能力や特性が決まり、それら3つに長じているものがいわゆる「天才」なのだ、と安易に考えてしまいそうですが、そう思っていた時期が僕にもありました。

できたか、できなかったかは、ある時点の結果でしかありません。その時点とは人生が有限ゆえに、受験や就職やオリンピックや、あるいは今際の際なのかもしれませんが、今から僕がオリンピックで金を取る可能性も0%とは言えません。まぁ0ですけど。

「できない」から「できる」のタイムラインを歩んでいくとして、「やりたい」と「合う」が絡み合っているとすると、「やりたい」が継続するための燃料なのは分かりやすいと思います。継続性、あるいはかけられる時間そのものと言っていい気がします。やめろと言われても、やりたいと時間を投入してしまいますからね。

では、「合う=適性」とは何なのか?

漫然と時間ばかりを投入して、昨日と同じ時点を延々と繰り返しても、「できない」から「できる」を歩んでいくことはできません。それは行動不能になったルンバです。そこが階段だと気づいて、一歩一歩上がる行為、要するに学習効率、「気づきやすさ」が「合うもの」の正体なのではないか、と僕は考えるに至りました。

気づき「やすさ」としたは、基本、たぶんここに身体的特徴も含められるのです。僕がいきなりB’zを歌っても阻害要因が多く、歌唱というジャンルで気づけないものがいっぱいある、それよりは平井堅を選んだほうが気づきが早いだろう、というものです。「黒人はバネがちげぇ」みたいな極限の適性比較はまた違うレベルなんでしょうけど。

やる気が強く、時間をかけられればいつかはできるようになる、逆に気づく数を多くすることができれば、時間を短縮できるということです。このため今の僕が考える3つの関係性は下記です。

やりたいもの ✕ 合うもの = できるもの
継続性(時間) ✕ 学習効率(気づきやすさ) = 成功体験

つまり「適性」とは、物事にあたってどれくらい気づく素養があるか、学習効率が良いものか、なのではないか、と考えるに至りました。そこまで分解すると、今まで「天才的な勘」みたいなものでしか言えなかったものに再現性が与えられるのではないでしょうか。

継続は力であれど、効率も肝要。そんなことをうっすら考えたり考えなかったりして、自分の習慣を作ったり、子どもに「さっきのが良かったからできたんだね」などと話す日々です。あーあと「やりたいもの」は自己効力感が関係してるんだろーなーとは思うものの、それは別の話。

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2021/08のまとめ

Summary

歯医者が来月でついに終わります。この喜びを何に例えましょう。思えば2年間の長い戦いでした。歯茎が腫れ、膿みがたまったのが始まりです。みなさん、歯は大切にしましょう。銀歯をしてあっても20年後くらいに中身が膿む可能性があります。気をつけましょう。どうやって気をつければいいのかは分からん。

8月は思い返してみるに、1〜7月と比較するとそれでも緩やかだった気がします。またほぼほぼ部屋から出ないので、夏を感じる機会もなかったんですけれど、少し子どもたちと花火をしたりしました。暑すぎて先月までと比較してこどもの国に全く行けなくなった子どもたちはひたすら庭で行水をしていました。

毎年言ってる気がするんですが、夏のことが嫌いです。暑いですからね。でも夏が持つ魅力みたいなものがあることも理解はできます。なんだろな、と考えたんですが、必ず「夏が終わる」ということを知っているからなんじゃなかろうか、などと考えるに至りました。

じゃあ秋が切ないのは失ってしまったからで、冬が寂しいのはなくしたことに慣れるからだ、などと考えてみたんですけれど、とにかく今は暑すぎると考えながら、ベランダで死んでたクマゼミを原っぱに返してあげたりしました。

そういや「10年後の8月」ということでZONEが復活したらしいですけど、確かにあのころは10年後なんて来世に等しいと思っていたなと懐かしいものがあります。過ぎてしまうと、一瞬だったなと思うので、こうやって夏を毎年重ねるんでしょうね。

夜は涼しくなってきたので幸せです。

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2021/07のまとめ

Summary

オリンピックが始まったんですね。弊社新卒研修の最後の言葉で「2000年、シドニーの柔道篠原選手の言葉『弱いから負けた』は常に自分の中に持つべき言葉だ」と紹介させていただいたんですが、オリンピックをほとんど見たことないです。ごめんね。というか、ほとんどスポーツを見たことないです。何ででしょう。

7月は公私ともに次につなぐためのことが多かった気がします。大きな仕事が一つ終わり、新たに三つくらい入ってきました。キャパシティの計算が合わない気がします。子どもたちもどんどん賢くなっていくので、「勉強」っぽいものに触れるようになってきました。

僕は「人生楽しんだモン勝ち」という考え方が好きではありません。僕はそんな人生ではないし、抜けの多い雑な考え方だと思うし、「涙とともにパンを食べた者でなければ、人生の本当の味はわからない」とどこかで思っているからかもしれません。ただ、「人生には楽しめるものがある」というようなものは知っておくのは重要だと思ってて、子どもたちにも伝えたいとは思っています。

なので毎日、「幼稚園がんばってね」と言わないようにしていて、「幼稚園いっぱい遊んできてね」という言葉をかけるようにしています。大人のスタンスというのは、そういうところから伝わると思うし、それが人生の軸になりがちな気がするからです。

そのためかそのためじゃないかは分からないですけど、娘は夏休みで幼稚園に行けないことがつまらないと言っていました。見込みある。運動神経はなさげだけど、なんか作れる子になれるかなーという感じ。

息子はアホです。

まぁそれらの生活が「次につなぐ」って感じはしています。オリンピックも無事に終わるといいし、コロナも即刻なくなるといいですね。生活が脅かされ続けるのは怖いです。

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2021/06のまとめ

総括

いつの間にか半分終わったんですね。2021年が。

どんな状況かと言うと、体の調子がいいです。朝の10分のヨガ、あるいはランニング、あるいはサイクリング、あるいは週末のたびにこどもの国を闊歩しているからかもしれませんが、腰、肩が痛くならない月は久しぶりだと思います。整体に行かなくてもいいかな。

6月は1、2、3、4、5月に比べれば穏やかな月だったかもしれません。仕事も5月までの準備を継承したものが多く、プライベートもランニングの開始など段階的な変化を加えた感じはします。なんか書いてて「しいたけ占いみたいな言葉選びだな」と思ったので、ちょうどいいので2021下半期のしいたけ占いを見ました。

7月は「クリエイティブ活動の始まり。」だそうです。大変そう……。

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四隅をつかみきれず夜空

愛し合おうと言いながら
それはゾンビみたいな歩き方だね
まるで見解の相違が滑稽だ

色々と取り返しがつかなくなって
挨拶の言葉も忘れてしまったけれど
もうそろそろ
飼い殺しにしたそれが
僕ではないと気づいてしまう頃合いだろう

いくつかは願いが叶ったと言ったら
君はきっと笑うから
その雑巾みたいな愚かさを
僕は懐かしく思う

さようなら夏がまた来るけれど
シーツに入道雲をこぼしてしまったような
あの夏を
僕はいつか許すことができなくなる

ただただプールに惜敗をひとすくい
月が映って草の匂いに追い立てられて
誰も何も言わなくなったあの場所に

いつか夢が尽きたら
まだそこに浮かんでいる気がする

そういう郷愁が僕らをつないで
いつも夜空を閉じることを考えている

2021/05のまとめ

こんばんわ。一ヶ月頑張ったらご褒美の意味も込めて整体に定期的に行くようになったんですが、整体師からすると定期的に来る客って嬉しいとは思うんですけど、治療みたいな観点から言うと、「整えられてねーわー俺ー」みたいな微妙な気持ちになっちゃったりしないのか不安でいます。

総括

果たしてゴールデンウィークがあったような……なかったような……。

最近の仕事で言うと、主に新卒研修のスケジュールやらコンテンツやらを組み立てていたわけですが、なにぶん正解がなかなか見えないことに目的立てて仮説を積み上げて筋道をつくっていくという、今まであんましやってないことにトライできて、頭蓋の中で脳みそがパン生地のごとくにグチャグチャにされている気がします。

プライベートでは土日の少し時間をうまく使えてない気がしてきました。続けようと思っていたロードバイクにたぶん5月は一回も行けていない気がしますし、スパイスカレーも作れていない気がします。まぁ義務でもないんで、いろんなことをぼちぼちやってくしかないのかなぁ。

全体的に先月危惧していたとおり、アンコントローラブルだった印象。

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2021/04のまとめ

こんにちは。納豆の有用性は認めるけれど、納豆が好きではないので毎日ナットウキナーゼのサプリを飲んでいます。正訓です。それでは4月の気づきや習慣などを。

総括

4月――てか、1、2、3月、いったいどこに消えましたか? 気がついたらいなくなっていました。しかも4月が終わり、初夏に入ろうとしていることに少なからず衝撃と焦燥を覚えています。「忙しい」と言ってしまえばもしかしたらそれまでなのかもしれませんが、そうじゃなくて生活が雑になってきていることに恐れおののいています。なので新しい年度が始まったわけですし、「脱雑」を目指して道半ばというところでしょうか。

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