ある凪の夜から嵐の朝、それからルーシーの一生について。

命と過ごした期間のこと。

5年ほどまえ、僕は仕事で忙しくしていて、職場も遠かったから帰宅するのは深夜だった。妻は起きていてくれたけれど、話をする時間も多くなく、疲れていた僕はそうそうに寝てしまう。そんな生活が続いていた。

妻とはそこからさらに遡って2年ほどまえに結婚していた。僕たちの故郷は静岡で、職場が東京に転籍となった僕が無理やり連れて行く形で結婚をした。妻は保守的だから、静岡から出たことがなかったけれど、文句を一つも言わなかった。

土日は当然だけれど一緒に過ごしていた。それでも平日の彼女の寂しさを僕は知らなかった。見知らぬ土地で知人を作るほど、彼女も社交的ではなかったけれど、家でずっとゲームをやっているような趣味も持っていなかった。ある日、「ペットでも欲しいな」と言い始めた。

「一人で誰とも話さないのは寂しい」

妻はそう言った。たぶん僕の至らなさが悪かった。それでも僕もある程度の覚悟をもって仕事をしていたから、そこで仕事をやめたり、変えたりすることはできなかった。僕らは話し合った結果、モルモットを飼うことにした。

僕も妻から聞くまで知らなかったのだけれど、モルモットは実験動物というイメージが社会的にはつきまとうが、立派な愛玩動物として世界で可愛がられている。妻はげっ歯類が好きで、ハムスターやモルモットをそれまでも飼っていたことがあった。これも混同している人が多いけれど、ハムスターとモルモットは大きさが全く違う。モルモットは大きくなると、30cm弱くらい、2kg弱ぐらいにはなる。

僕らはモルモットを売っているところを調べて、東京のあるペットショップにたどり着いた。そこは小さなペットショップだったけれど、モルモットやウサギの小屋が丁寧に手入れされていて、小動物特有の臭いはただよいつつも、僕はその店のことが入っただけで好きになった。

お客さんを後回しにして、モルモットの世話をしているのが女性の店主のようだった。見るからにモルモットに詳しく、話を聞いていくうちに、全く商売っ気を出してこないことも気に入った。大切にしてくれなければ売らない、といった空気をあからさまに出していた。小屋の中に置いてあるグッズの一つ一つの説明をしてくれながら、僕らは家族を選び始めた。

それほど広い店内ではなく、モルモットも数匹しかいない。大きく分類してモルモットは短毛種と長毛種に分かれるようだ。長毛種は文字通り体毛が相当長くなる。その分、短毛種より手入れをしなければならない。僕らは短毛種を選ぶつもりだった。

しばらく悩み尽くして、店内の隅のゲージの中の、さらに隅にいるモルモットに決めた。コロネットという種類のその子は、全く短毛種ではない。白と灰のグラデーションがきれいな、イケメン鼠だった。生まれて間もなく、臆病で、抱きかかえられると震えていた。妻が「この子を昨日、夢で見た」と言ったので、その子に決めたのだった。

そのお店であらかたモルモットグッズをそろえた。モルモットは草食性でワラをずっと食べる。だからゲージの中にワラを切らしてはいけない。お腹の調子が悪くなり、歯もけずれなくなってしまう。まずは良質なワラをずっと常備することが重要だと教えられた。ちなみにハムスターは雑食性なので、色々食べる。その点も違う。その他にもそこで色々なものを購入した。ゲージに始まり、木の家やハンモック、トイレシートやおやつやオモチャなどだった。

全部の段取りが整えられて、あとはお金を払うだけのときに、それまで真っ直ぐ僕らを見ていた店主がその子をなでながら、まるで大きな鉄の塊を喉から出すように、しかもそれを気取られないようにしているかのようにして言った。

「長くて、5、6年」

一瞬、何のことか分からなかった。それが寿命だと気づいたときに、急に命に対する実感が出た。急に重くなった。それは当然必要な情報だったけれど、このタイミングでは気にしないようにしていた。5、6年。それが、この子と暮らせる期間だった。それをこのようにして伝えてくれる店主をプロで素晴らしい人だと思ったし、大好きになった。だから色々入用になるモルモット生活だったが、通販を使うにしても、できるだけこのお店から購入するようにした。

その子は最初の二ヶ月ほど、怯えて暮らしていた。モルモットは元来、臆病ものの性格で、寝るときも普通、目を閉じない。それにしても臆病な子だった。もふもふとしていて、少しでも音を立てるとビクッとして部屋に閉じこもる。

白と灰の毛並みはとてもきれいで、親がなんだかの大会で優勝していると聞いていた。光の当たり方によっては、銀色にも見えたから、色々お名前を考えたのだけれど、「シルバー」をもじって、「ルーシー」と名付けた。ルーシーは最初、自分のことをルーシーだとは全然分からない子で、「ルーシー」と呼ぶと、ビクッとして部屋に入った。僕らは優しい気持ちになれた。

しばらく経って、ルーシーは部屋にも慣れて、もりもりワラを食べていた。最初の期間を尊重しすぎたのか、ルーシーは性格のいい子ではなかった。何度も僕の指を噛んだし、加減を知らず、ときどき血が出た。それでもとても可愛くて、よくなでた。立派な長毛がサラサラしているいい子だった。でもクシを通すのは嫌がった。ときどき油断して目を閉じて寝ていた。

これも知らない人が多いだろうけど、モルモットは感情豊かな動物だ。実はよく鳴いて意思表示をする。怒ればグルグル言うし(ルーシーはよく怒る子だった)、キュイキュイとかプイプイとか言って、ご飯がもらえることを喜んだりする。それから興奮が頂点に達すると垂直に跳ねる。これはポップコーンジャンプと言われて、子供のモルモットによく見られる、とても可愛い仕草だ。ルーシーもよく跳ね回っていた。

モルモットはサプリを食べる。体内でビタミンCを作れないからビタミンC、それから腸内環境と便のために乳酸菌とパパイヤのサプリをルーシーは常用していた。ルーシーはサプリが大好きで、それをあげるようとするとキュイキュイ言ってポップコーンジャンプをした。そしてあっという間に食べてしまう。鼻先に指を近づけて、噛むのではなくて初めてペロッと舐めてくれたときは、とても感動した。

しばらくは平和な日々が続いた。妻はルーシーをとても可愛がり、ルーシーもふてぶてしく家に慣れていった。モルモットの掃除は実は簡単ではない。長毛種であることもあって、清潔にしていなければならない。時々シャワーは必要になるし、ゲージのトイレは毎日変えて、ウェットティッシュで家や床を吹くようにしていた。トイレを覚えるモルモットもいるらしいが、ルーシーはバカだったから覚えなかった。

毎日綺麗に掃除をしていた。二人で暮らしていたころは旅行にも時々行っていたが、ルーシーと一緒に住むようになって、二泊もできなくなった。ワラがあることを常に気をつけなくてはならないし、お腹が空いて怒っているルーシーが簡単に想像できた。僕らはいくつかの時間を失って、代わりにルーシーと暮らす時間を手に入れた。

しかし、二年ほど経って、ルーシーの食欲が落ちた。ワラを食べるのがきつそうだったし、ご飯であるペレットもあまり食べない。僕らはかなり焦って、動物病院に行った。モルモットなどはエキゾチックアニマルと呼ばれ、診てくれない動物病院も多い。地方に行けば行くほど、エキゾチックアニマルを診てくれる病院は少ない。

幸い車で15分くらいのところにエキゾチックアニマル専門の病院があった。初めて行ったその病院は個人の診療所のようでとても親身になってくれるいい病院だった。ルーシーは診察を受けて、歯の噛み合わせが悪くなっているようで、食欲がなくなっているようだ、と言われた。それは少し恐れていたことだった。

モルモットは不正咬合になりやすい。伸び続ける歯が一度噛み合わせ悪くなってしまうと、どんどん悪循環してしまう。ワラを常にあげて歯を削らなければならない理由もそれが一つだった。モルモットはとても弱い生き物で、歯が痛いと、食べるのを諦めてしまうことが多い。そうすると歯はまた伸び続ける。そうなってしまった場合、完治しないモルモットの方が多いと言われた。処置は、全身麻酔をかけて、歯を削ること。

ルーシーは当然鼠だったけれど、当たり前に家族だった。全身麻酔をかけて手術をしてよいか、という書類にサインをするのはとても勇気が必要なことだった。こんな小さな命、一瞬で消し飛びそうだし、実際のところ、モルモットの医術はイヌネコほどに発達していない。モルモット自体の生命力も、もちろん人間よりずっと低い。またその処置でよくなるとは限らない。

それでもサインをするしかなかった。僕は結局、このサインをこの先何度もすることになった。そのたびに「ルーシーがんばれ」と言って、なでながら、「これが最後かもしれない」と必ず思った。ルーシーはとても性格が悪いから、僕のその手を頭で跳ね除けて、グルグル言った。まだ元気な証拠だと思った。

一度目のその処置は結局、うまくいかなかったのだと思う。ルーシーの食欲はなかなか戻らなかった。モルモットの食欲が落ちると、腸の動きが悪くなって別の病気を併発してしまう。そのため強制給餌と言って、ペレットとサプリを水に溶かし、1ccのシリンジ(針のない注射器のようなもの)を口に差し込み、強制的にご飯をあげることになる。これが一日最低三回。僕と妻はそれを繰り返した。

ルーシーはこの状態になると急に甘えてくる。急にプイプイ言いながら寄りそってきて、強制給餌をねだるようになってくる。本当に性格の悪い鼠だと思ったが、本当に可愛かった。薬も飲ませなければならなかったけど、ルーシーは嫌だ、と言って怒った。僕らはルーシーがよくなることを信じて続けたが、事態はそこでは悪くなった。

右頬が急に腫れてきた。病院に連れていくと、歯から炎症してしまったのか、顎のところが膿んでしまって袋のように溜まってしまっているのだろうということだった。正確なCTを撮るために僕らは病院を変えなければならなかった。エキゾチックアニマルのCTが撮れる動物病院は日本にそう多くない。

結局、CTを撮ってもどうにかできなかった。その膿が溜まった袋をどうにかしなければならないが、現状、その袋を外科的に取り除くこともできず、取り除いたとしても再発する可能性が高く、薬で収まるか様子を見なければならなかった。でもルーシーにはまだ元気があった。プイプイも言っていたし、ご飯もよく食べた。しかも鬱々と強制給餌を繰り返していたある日、ルーシーは自らその袋を引っ掻いて、膿を全部、自ら取り出した。

家は腐った臭いで充満し、血まみれになったルーシーはそのまま病院に連れて行かれ、処置をされた。そこで血まみれでも元気だったルーシーはスタッフ達に驚かれた。しばらく薬を飲んでいたルーシーだったが、その後、復活し、自分でワラもペレットも食べるようになった。とんでもない世界一凄い鼠だと思った。僕は涙が出た。

それでも、歯の状態はずっと悪くなり続けた。ルーシーが自分で食べる期間は長くて三ヶ月、短いと一ヶ月もたない。歯が伸びてしまって口腔を刺激するから、ご飯を食べなくなってしまう。膿の袋は結局再発こそしなかったが、歯の根本の機能を失わせてしまったらしい。食欲はずっとあったが、食べられなくなってしまうと病院に連れて行って、全身麻酔して歯を削らなければならなかった。

リアルな話をすると、ルーシーは一万五千円くらいだった。一回一回のその「手術」には三万五千円ほどかかる。家計に対して平気かと言われれば平気じゃない。それも地味に負担だった。僕ら家族は静岡と千葉を行き来しなければならず、ルーシーもそれについてきていた。静岡で具合が悪くなってしまって、ルーシーは新幹線にだって乗ったことがある鼠だった。病院で同じような患者の一人と話す機会があって、彼は二週間に一度ほど、その手術をしていると言っていた。

ルーシーは家族だったから、例え私財を売ってでも、ルーシーのために尽くそうと思っていた。でも、ルーシーはそれを望んでいるのか分からなかった。常に痛い思いをし、好きなご飯も食べられなく、時には強制給餌をされるのをルーシーはどう思っているのだろう。ペットの安楽死の記事を偶然見かけたことがあった。僕はそのことを考えないようにしていたが、ルーシーがいなくなることを考えたくなかった。

一年くらいまえから、何度目かの手術のあと、ワラも食べなくなってしまった。ペレットだけはよく食べられる。僕はうっすらと分かった。ワラが食べられないと、モルモットはとたんに弱まる。ペレットはよく食べるのに、みるみる体重が減っていった。ルーシーはもう長くないんだろうと、どこかで分かっていて、考えないようにしていた。

もう少しだった。「長くて5、6年」のその5年に差しかかろうとしていた。ルーシーに血尿が出てしまった。尿がうっすらと赤い。原因は判然としなかったが、糖尿病ののようだった。人間でも難しい病気だ。モルモットはなりやすいという。自然に改善することもあるというが、特にこれだという処置も難しいと言われた。

それでも一昨日までルーシーはよく食べていたという。でも、命はずっと続かない。昨日、最後まで好きだったサプリを食べられなかった。ルーシーはもう静岡に引っ越していて、いつも行っている病院にもすぐに行けなくなっていた。僕が夜、家に帰ってルーシーのそばに行くと、ルーシーは自分の家の外で何かに耐えているようだった。「ルーシー」と言いながら頭をなでると、フンッと言って跳ね除けた。ちょっと調子が悪くなってるみたいだけど、まだ性格が悪くて、大丈夫みたいだった。明日、近くの病院に行こうと思っていた。

地球史上最大級だとか揶揄されている台風が、僕らの住んでいる静岡に上陸した日だった。起きてみると風が恐ろしいほど強く、家を揺らしていた。「ルーシーが!」と妻が叫んだ。僕は飛び起きて、ルーシーのゲージに向かった。ルーシーは自分の家の中で、横になって倒れていた。これまで丸くなって寝ていたことがあったが、足を投げ出して倒れていたことはない。

その姿を見て、正直もう死んでしまったと思ったが、まだガッと、苦しそうに息をしながら生きいていた。僕はいくつかの動物病院に電話をかけたが、当たり前のように、どの病院もやっていなかった。それが結果だけを見れば、良かったのだと思う。息を吸うのも苦しそうなルーシーは、それから一時間ほどで、僕の手の中で、家族に囲まれて死んだ。

最後に大きく息を吸って、きゅっと目を閉じて、足がピンと張った。僕は何度も「ルーシー」と呼んでいたけれど、もう、どうしようもない。事切れた、ということが分かった。生き物を看取ったのは、もしかしたら初めてかもしれない。悲しくて、悲しくて、嗚咽を止めることができなかった。

今日、僕の家族が死んだのだ。

ルーシーの亡骸の横でこれを書いている。台風が収まったら、明日、火葬に行く。娘から見るとルーシーは兄という立場だった。ルーシーは箱に収められ、娘が画用紙に描いたルーシーの似顔絵が体にかけられている。まだ娘は死を理解していない。理解できていたつもりの僕も、しかし、何も理解できていないことが分かった。

ゲージはまだそのままにしてある。ルーシーと今建てている新居に住みたかった。ルーシーをこれから生まれる長男に触らせてあげたかった。またルーシーはお兄ちゃんになったね、と言いたかった。それらがもう全部、抜け落ちた未来しか待っていない。それが信じられない。

あれをこうしていたら、もしかしたら違う未来だったのかもしれない。大切にしていた。でもまだ足りなかったかもしれない。ただ、これ以上ないくらい、ルーシーは頑張ってくれた。ルーシーは長い闘病生活に耐えた立派で最高の家族だった。「ルーシー、楽しかったね」と言って、頭をなでた。もうグルグル言って、怒ってはくれることはない。

ただ悲しくて、これを書いた。

ルーシーが僕らの家族として、生きたことについて。