#live #music #note

四半世紀の宇宙と僕とBUMP OF CHICKEN、ここはSphery Rendezvous。

LIVEの内容自体についてはほぼ言及していません。

BUMPを初めて聞いたのは、大学のときだったと思う。そもそも音楽というものを聞かずに触れずに育ってきたので、どんなにどメジャーな音楽でも特に分からずそれまで生きていた。何なら音楽の良さが分かっていなかったと思う。

何か実は今でも本質的に音楽の良さが分かってないんじゃないかと思うことがある。新しい音楽が世に出る。それらに対して僕の神経は、ときに「いい感じ」を検出する。僕は「いい感じ」な音楽を繰り返し聞く方なので、その周辺でヘビロテのリストが入れ替わる。

そしてその音楽を聞いていて、でもどこかで僕は音楽がめちゃくちゃ好きってわけじゃないなって気づいている。僕が考えるに「本当に好きなもの」は「狂気」に近いのではないかと思ってしまっている。それがなければ息ができないもの、狂おしくそれを求めてしまうもの。

ざっくりと世の中を見渡せば、そういう「狂気的に音楽が好きなやつら」は僕から見て割といた。僕がレベル0であったので、本当のところその狂気は10から99まで満遍なくいたのだろうけど、僕から見ればそれらみんな「音楽が好きなやつら」だった。

モテたいという理由で学生のときバンドを組んだやつらも、特定のアーティストのCDを漏らさず聞いていたやつらも、フェスに毎年行くってやつらも、音楽を聞くために数百万の音響設備を買うやつも、ギター一つで上京したやつも、作曲をして音楽を上げているやつらも、DJでライブハウスを熱狂させてるやつらも、僕から見れば等しくみんな音楽が好きなやつらで羨ましかった。

でもそれはたぶん音楽に限らなくて、僕の「好き」はだいたい広いけれど恐ろしく浅い。それは僕の特徴でもあるので許容している。というよりも羨ましいのは狂い方が分からないからだ。僕の物事に対するその浅さは軽蔑するべきものだとどこか思ってしまっているし、実際、一部の人からはどこか軽蔑されるだろう。だから何となく僕は多くの物事に「好き」を使えずにいる。

思い出される過去の自分は、いつも何もやっていない。何にも打ち込んでいなく、何かを成していることもない。ただありがちな苦難を、人並みに受け止めて、月並みなことを思い、使い古されたことを喋る。

20余年前、BUMPのことを「いい感じ」だと思った。人並みに天体観測からだったと思う。それからカラオケではハルジオンをよく歌った。僕の音域的にそれがギリギリだった。それから何となくずっとBUMPは聞いている。

大学のとき、何きっかけだったか忘れたがネットで女の子と知り合った。日々連絡を取り合って、お互いに彼氏も彼女もいないが、そういう存在にお互いがなっているわけでもない日常を過ごした。彼女はBUMPをインディーズのときから好きだと言っていた。

「インディーズからそのバンドが好き」という、何かよく分からない意図せぬ圧倒的な優位性を前に、僕は「俺もだなー」とか言いつつ、TSUTAYAに走った。まだそのころはCDは買うか、レンタルで聞くものだった。

そしてすぐに「Kいいよねー」みたいな話をしたのを覚えている。いま思うと、大学生活がうまくいってなくて、ネットに活路を見出していたので、必死だったんだと思うと本当に微笑ましい。その女の子とどうなったか全く覚えてない。

それから大学が卒業できなくて、失意のうちに本屋とコンビニでバイトをして旅行費を貯め、アメリカの友人に会いに行った。カリフォルニアからアメリカを縦に1/2ほど北上したとき、ボロボロの車中で流れていたのがカルマがひたすら流れていた。

いまのように音楽を大容量保存などできなかった。とにかくひたすらカルマが流れていて、雄大すぎる大陸の広さを感じていた。というと乾いた風が吹く夏のように感じるからアメリカって不思議だ。行ったのは全然冬で、何なら大雨で災害が発生していた。ただその時のBUMPは圧倒的に友人との自由を象徴していた。

働き始めて、辛うじて自分のお金ができると、僕はボイトレに行った。カラオケが下手すぎるのがコンプレックスだったので、どうにかして上達したいと思ってのことだった。

課題曲はスノースマイルとメーデーだった。二つとも気持ちが入りすぎて、力んでまったくうまく歌えないままボイトレの時間は終わった。「もっと抑揚を」と言われたけれど、いまだもって抑揚の正体が分からない。

何もやっていない僕の、でも何もなかったわけではない、僕のバックミュージックにはBUMPが流れていることが多くなっていた。


それでもBUMPのライブに行ったことはなかった。

ライブ自体が好きじゃないし、人多いし、人と同じ動きするの嫌だし、そもそもチケット当たらないだろうし、別に僕はガチってわけじゃないだろうから、「行ける資格」みたいなものも感じられなかった。行ってはみたいなーと思いながら、夢の一つのままだった。

しかし、ポケモンとBUMPのコラボであった GATCHA! を見たとき、大きく気持ちが揺さぶられた。そこには確かに時間の蓄積があって、同時代を生きた人間の、同じものが好きな共感と、心地よい感傷が確かにあった。

まず僕が思ったのは「会いに行かなくちゃ」だった。会いに行かなくちゃ。ずっと前に約束をしていた気がする。この20年を伝えに行かなくちゃという衝動を起こさせる力がアカシアにはあった。僕がBUMPを聞いてきたということを、何の節目でもないけれど伝えに行かなくちゃならないと思った。

そう思ったから、行けないわけがないという自信がでてきた。aurora arkのときも、ホームシック衛星のときもチラチラと気にかけてはいたのだけれど、今回は謎の自信があったので初めて申し込み、めでたく初日アリーナを引き当て、昨日、埼玉ののベルーナドームへ行ってきた。

「Sphery Rendezvous」だ。

埼玉は遠かった。新幹線と電車を乗り継いでも何時間もかかる。実際のところ、帰る時間に終電があるか微妙だったけれど、もうその辺りは後で考えようということになっていた。

そうやってたどり着いて、物販までも時間が空いた。いまは物販も整理券があらかじめ配布されるし、どうやら当落があるようだった。この物販の当落にも運良く受かっていた。 あとは物販が終わって、開場となってもそこから二時間ほど開演までにかかる。再入場不可ということもあって、僕らは開演までを逆算して、開場しても外で長い時間を過ごしていた。

まだ暑かったし汗びっしょりでタオルは物販のも含めて3つ持っていたけれど、もう2つ目を使い始めていた。それでも真夏の日差し、空気の暑さでなくて良かった。日陰に行くとまだ許せる涼しさで、ハンバーガーなんかを食べて時間を過ごした。

待っている時間も自由で楽しかった。余談だけれど、同行人はひたすらBUMPを歌いながらアメリカの半分を一緒に縦断した友人だった。

恐ろしい数の人が集まっていた。ベルーナドームはいま調べたら3万人ほどの収容人数のようだし、物販だけ買いに来る人もいるようだから、もっといたのかもしれない。とにかく直結している駅からは絶え間なく人が入り込み、ドームは人を飲み込んでいった。

ほどなくして夕方になり、日差しはさらに弱まり、開演の18時前になり、僕らもドームの中に入り込んだ。ギッチリと並んだすり鉢状に並んだ席に、人がこれまたギッチリ座っていた。色とりどりに染まった席は、解像度が荒いモザイク状の風景のようにも見えた。

みんな僕よりBUMPが好きなのだろうと思った。それが分かるんだ。古いライブのTシャツとか、タオルとか、僕が持ち得ない経験に触れてきたのが分かる。「好き」を強く寄せてきたのが分かる。

素直に凄まじいバンドだった。幼稚園からの付き合いでバンドを結成して、揺るがない世界観と音楽を作り、ドームを何杯も埋める人気を持っている、ずっと皆に愛されている凄まじいバンドだ。

BUMP OF CHICKENは凄まじいバンドだ。


18時になり、外が暗くなり、ライブが始まった。僕らの席はアリーナのそこそこ前の方で、運が良くメンバーの4人が入ってくるのが見えた。4人を初めてみたとき、「あ、本当に生きてるんだ」と思った。これはリアルな場所でしか味わえない不思議な軽い納得だった。

そしてリアルなBUMPを初めて聞いた。

あの音が流れた瞬間の空気が羽化したかのような感覚はロックスターだった。優しい音だった。もっとライブは重い豪速球のような奔流が続くのかと思っていたけれど、至極優しい音と声だった。当たり前だけれど、あの声も本物だったんだと思った。

みんな腕を振り上げたり、静かに聞いたり、一緒に歌ったり、ジャンプしたりしている。ほどなくMCがあって、「調子が悪い人を全員で助け合うこと、人それぞれの参加の仕方を尊重すること」が語られた。それは繰り返し語られた。優しい空間があった。

何曲かが流れて、MCが入り、4人は音をかき鳴らし、動き回った。こんなに大勢の前であそこまで自然体でいられる人生が羨ましかったし、そしてこの4人だから起きている奇跡だと思い知った。

そしてある曲が始まって、とっさに心を身構えたけれど、間に合わなかった。もうダメだった。その曲が、僕の人生と一緒に歩いてきたことを知っていたから。取り立てて何もない、普通の人生だけれど、その曲には僕が寄りかかったときの汗がついている。

喜んだときの笑い声が入っていて、苦しんだときの垢がついていて、傷ついたときの涙が含まれていて、無心であったときの足跡が刻まれている。長く聞いていると、そういう歌ができあがってしまっている。

「会いに行かなくちゃ」と思ったのはこういうことだったと分かった。ともにあったことを、等間隔で存在してきたことを、分かりたかったのだ。そして僕は、何もやっていなかったこともなかった。人並なのかもしれないけれど、僕には僕なりの歩みがあった。

ライブ中盤以降、僕はだいたい泣いてた。歌いたいところであんまり声が出せなかった。感動かどうかはもう分からなかった。あらゆる思い出が僕のなかにあった。これまでがあって、ここに至ったことが認められる空間だった。

ボーカルの藤くんが何度も言っていた。「君がいる世界がここに存在して良かった」そういうお互いの触感がありありと感じられる空間だった。虫の音があって良かった。星があって良かった。空気があって良かった。BUMPがあって良かった。

音楽なんて結局のところ無責任で、僕の人生の問題を何も解決してくれない。でも作り手は無責任でありたいなんて思ってない。きっと小さな奇跡を思って、そこに誰かがいると信じて、投げ続けている、この20年間、そういうことなんだろ?

だから言ってもいいんだろ?

大好きなバンドのライブに行ってきたんだよ。


真ん中らへんにいる。

戦利品たち。

バイバイ、行ってらっしゃい。