感光
20年後の日常を、幾重にも重なる光のなかに見た。
僕はその光に触れようとしたができなかった。ただ意識がその光に混ざっていく。今までのものは、この光の残滓に過ぎないと分かった。そうしてその光のなかに、大人になった娘がいた。
きっと自宅なのだろう、壁が薄緑色の二階建ての家だった。家の前には小さな駐車場があって、大人になった娘が子供の額をなでている。その子の髪はさらさらとしていて、口元のいたずらさが娘にそっくりな男の子だった。
僕は彼らを間をくぐりぬけ、彼らが生きていることを知った。
彼らの鼓動に、僕はまたたいた。
20年前、僕はいつかの未来のことを知っていた。
それは僕の魂にこびりついたタールのようにやっかいなものであった。僕が中学生のころ、僕の意思とはまるで無差別に、おかまいなしに意識を失ってしまう病症をかかえていた。短ければ数分、長ければ1日ほど、僕の意識が失われる。それ自体もやっかいであったが、それよりも意識が戻ると、僕は未来のことを1つ知っていた。
その無理やり授けられた未来視も全くの無作為のようで、ほとんど意味のないものだった。3年後にコンビニで買う文具のことであったり、1年後のただ寝ている光景だったりする。しかし、そのなかでもたった1つだけ、僕に重大な意味と、脅迫的な確信をもたらすものがあった。
僕は20年後に事故で死ぬ。
それだけがもう僕のなかで決められたことであり、僕に時間と命の無意味さを植え付けた。意識を失うという実生活上の不便さもあって、僕はただただ無為に人生を過ごした。それはタールを飲み続けるような日々だった。
5年前、未来の不確かさが分かった。
まだ原因不明の意識喪失は依然として続いていたが、その頃はそれでも人生の豊かさを感じられていた。大学で出会った女性と結婚し、娘が病に倒れるその日まで。人生に本当の絶望というものがあるのならば、それは自分の心身に起こることではないのだと僕は知った。だから僕はこの未来のことを知らなかったのだろう。
その日、娘の心臓の病名と余命が告げられた。僕は一日中、灰色のカーテンを見ていた。そこから何かを振り切るようにしゃにむに生きたが、ドナーは現れなかった。いつしか僕の意識喪失は起きなくなり、僕の脅迫的な確信は思い出せなくなっていた。
だからその瞬間が来ることを、僕は遅れて悟った。
幾重にも重なる光のなかで。