正月休み最終日に語る、僕の天空の城ラピュタで好きなシーンはここなんです
一昨日あたりにナウシカがテレビでやってましたね。こんばんは。僕はラピュタが大好きです。今日までが三が日と思い込むことによって平成最後の長期休暇の最終日に怠惰の限りを尽くしつつ、「君をのせて」をエンドレスリピートにして、この文章を書いています。
さて、有史以来人類に問われてきた質問なんですが、あなたに今一度問いたいと思うんです。あなたがジブリで一番好きな作品は、そう、天空の城ラピュタですが、では、そのラピュタの中でもどのシーンが一番好きですか。
なるほど、これは難しい問いかけだ、とあなたは思うことと思います。当然ラピュタは何度も観られたことがあるでしょう。高校でふさぎ込んでいた時期も、大学生活で引きこもっていたときも、社会人で辛い毎日に挑むときも、常に支えてくれたのは、そう、天空の城、ラピュタだったではありませんか。今まで隠していたつもりかもしれませんが、初恋の人は当然シータでしたね。
LOVE三つ編み。「来ちゃだめー!」と言われたとき、あいや、シータ。それ以上言うなとばかり、あなたの心はパズーよりも速く駆けていったはずです。視聴回数は何回を超えましたか。テレビだけでも10回は超えているでしょう。僕はまだまだ若輩ですから、まだ100回ほどでしょう。ラピュタを愛してる。なんでか分かんないんだけど、鑑賞中は青春時代を圧縮して沸騰させたかのような高密度の熱さを僕は感じています。
その中でも、作品を5秒ごとの細切れにしたとして、最も好きなシーンを選べ、という断腸の選択をしなければならないとしたら! あの人類の宝の中で、たった一つ、たった一瞬しか選べないとしたら!
そう、あなたはどのシーンを選びますか。
それはシータと邂逅してからの初めての朝、「ハトと少年」のシーンでしょうか。音楽との一致が芸術的な親方とシャルルの掛け合いでしょうか。パズーのカバンは魔法のカバンでしょうか。ポムじいさんと洞窟のシーンでしょうか。シータ救出のシーンは外せませんよね。いやお父さんの幻でしょうか。ラピュタ到着の喜びでしょうか。やはりバルスでしょうか。それとも「まだ仕事?」のシーンでしょうか。ムスカが落ちていくシーンでしょうか。
どれも捨てられない、どれも大切なシーンです。ですが、たった一つ、僕がこのシーンが、ラピュタ全体を支えている骨子と信じて疑わない部分、そのシーンは、ここなんです。
「おばさんたちの縄は、切ったよ」
バルスではないんです。バルスではない。「ここのシーンが大好きなんだ」と僕は人に頻繁に言うのですが、意外とあまりピンポイントでこのシーンが好きだと言う人物に出会っておらず、あまり分かってもらえない。だから語りたい。正月休み、最後の仕事として語ります。
なんでこのシーンが素晴らしいかって、このシーンはパズーの人生にかけてきた思いが昇華された瞬間だと思うんです。パズーのここまでの道のりを思い出していただきたい。
パズーの家はけして豊かではありませんでした。鉱夫たちが騒がしい日常を送る街で、その中である日、ラピュタという一種の「ロマン」を見つけたことによってお父さんは詐欺師呼ばわりされて死んじゃっていました。お父さんはラピュタなんて見なかったことにすれば良かった。写真なんて焼き捨ててしまえば良かった。家族がいるならそうすることが正解だった。たぶんそうだった。
でもお父さんは、嘘をつくことができなかったのだろうと思うんです。自分が見たものについて、ロマンについて、人々に、家族に、そして何より自分に嘘をつくことができず、詐欺師呼ばわりされて死んじゃうんです。作中に出てくるお父さんの顔を思い出してください。あの頑なそうな、でも誠実そうなちょびヒゲを。
パズーはそんなお父さんが亡くなったとき、何を思ったでしょうか。その時、パズーは言葉にならない悲しさを噛み締めたでしょう。悔しかったでしょう。お父さんを恨んだかもしれません。人を嫌いになったかもしれません。夢のあり方について考えたかもしれません。ですがシータと出会ったとき、パズーは言うじゃないですか。「僕の父さんは嘘つきじゃないよ!」
いい子!!!
いい子さが果てしない。この子になら僕の初恋の相手だって安心して任せられる。見てください。自分で作っているのであろう鳥人間コンテストに出るのかという飛行機を。稼ぎだってそんなないでしょう。肉団子に特別感がある日常なんですよ。でもパズーは何を思って、コツコツとこの飛行機を組み立てているのでしょうか。悲しみ? 悔しさ? 恨み? 憧れ?
いえ、僕は思う。それら全部をごった煮した感情の奔流、それは「ロマン」と呼ぶべきなのだと。パズーは、父さんが残した熱い想いを確かに引き継いでいるのです。それがあのシーンだけでコミカルに語られているのです。強さ。このときからパズーには、並々ならぬ心の強さが秘められていました。
そこへ来て海賊たちとの騒動が始まる。ロマンの塊たる彼は、そりゃ思っちゃうでしょう。「きっと素敵なことが始まるんじゃないか」なんて甘っちょろく思っちゃうわけです。そりゃそうです。美少女が空から降ってきたら、誰だってきっとそう思う。僕ならシータが空から降ってきたら、生まれてきた意味ここにありと悟る。それから味わう失意なんて考えもせず。
それから海賊に追いかけられ、シータには「来ちゃダメ」と言われながら、飛行石を体験し、ポムじいさんにラピュタのことを匂わされながら、伏線が行列待ちを始めるのです。そして坑道を抜け、外に出たときの大きな雲、ロマンに近づいている確信に高まる胸。その瞬間、告げられるシータの本当の名前。
「そ、それじゃ……」
それじゃ、じゃない。ラピュタ全編を通して、言葉の一つ一つには重みがあります。ですが、ここだけはどう考えても、パズーの思考が死んでる。あまりに展開の早さにパズーの脳内がショートしちゃってる。伏線がもうパズーの両手で抱えきれなくなってる。だから軍隊に一瞬で制圧されてもしょうがないんです。
そして満を持して出てくる黒幕の青二才。君も男なら聞き分けたまえなんて言われちゃうじゃないですか。男。パズーはですね、男なんですよ。覚えておいて欲しい。ボーイミーツガールものですから当然そりゃ男なんですけど、そう、パズーは男なんです。
その彼がけんもほろろにシータに言われ、金貨を持たされて家に帰されてしまう。マッジに「パズーが帰ってきたぁ!」なんて発見されたくなかったでしょう。放っておいて欲しかったとと思う。自分の不甲斐なさ、無力感、夢への断絶、それら負の感情が一気に襲いかかってきて転ぶ。落ちる金貨。ここも無性に好きなシーンです。見てください。必死に金貨をかき集めてから投げ捨てようと力を込める少年を遠くから見た姿を。あの震える少年を。
でも、捨てられない。
ここの解釈は人それぞれだと思う。パズーは少年であると同時にすでに労働者。この金貨の価値を知っているのです。自分の負の感情と引き換えにしてでも、この金貨の価値が軽くはないと知ってしまっているのです。だから捨てられないという解釈。それもあると確実に思っています。ですが、僕はもう少し違う解釈をしたい。
金貨が「つながり」だと思うんです。「素敵なこと」が始まってからの、一連のつながり、シータとのつながり、ラピュタとのつながり、短い、一瞬の出来事であったにも関わらず、ロマンに近づいたつながりの、その結果なんです。だから、彼はその金貨を無碍にすることができない。捨てたいほどのクソみたいな結果でさえ、彼は彼の人生をしてたどり着いたこの時点を、捨てることが出来ない。僕はそんなことを思ってる。教えてくれパズー。その君の真意を。
そして騒がしいドーラ一家との出会いで彼は心に決める。シータを救出するために飛び立つ。「その方が娘がいうこときくかもしれないね」といったドーラのあの目を見ましたか? ドーラは本当に99%言葉通りに思っていたかもしれない。でも残り1%はパズーに加点された間がありました。ドーラがパズーの覚悟にべットした瞬間なんです。
だからこそ実現した歴史に残る救出劇。ここをナンバーワンのシーンに挙げる人も多いことでしょう。パズーもシータも目がいいんです。だから見えるんですね。遠くでもシータの姿を。なんのかんの言って、仲間は有能じゃなければなりません。こっから先の話ですが、雲海でゴリアテを見つけるのもパズーです。海賊加点1。
その頃はもう軍隊もたいへん。ロボット兵が暴れまわっています。「まるで戦」状態になってしまっているんです。ロボット兵に抱きかかえられて、フラップターの羽根が邪魔して小さな塔のシータを救えない。あとちょっとなのに。迫る砲弾。悲しきロボット兵。ロボット兵の最期、彼が「全うした」という姿を皆さん見ましたか。
気絶してしまうおばさん。上がれぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!! 見て! このシーンも素晴らしいんです! フラップターが急角度で上がる、ドーラが目覚める、その腹筋どうなってるんだって感じで起き上がって、そう、パズーの頭をガシッと掴む! 見ました!? 分かるでしょう!? あの認めた瞬間を! 海賊加点10なんです! このシーンがあってこその、すり抜けかっさり! あぁ……あの緊迫感、あの覚悟、あの信頼感、それら全てがきれいに爆発してたどり着く地平、それが「煙幕か!」なんです。
さらにシーンは流れ、月夜の雲海――。見張りをしているパズーを訪れるシータ。作品中随一の甘いシーンですね。あの甘いやり取りが船内に流れていると知ったとき、パズーは死にたくなると思うんですけど、「全部片付いたら」と片付いたら彼は、シータを送っていってあげると。古い家や、ヤクたちを見たいと。プロポーズに近い! でもそうじゃない! ここで重要なのは俺の初恋の相手に確実に手を出したことではなく、彼の中では「ラピュタの後も物語が続いている」ことなんです。彼は当然その先を考えているんです。
そんな甘さを断ち切るかのように現れるゴリアテ。姿を見せる竜の巣。何かに「到達しようとしている」のが分かる。でもタイガーモス号とのワイヤーが切られ、道が分からない。こんな空の果てで、布切れみたいなカイトに乗ってどうすればいいのだろう。全てを拒絶するかのような厚い雲海、それから空を割る雷鳴。自分が感じたロマンに後押しされ、ここまでたどり着いたパズー。絶体絶命のときに現れるのは――父さん!
彼は父さんの幻を見たんです。ロマンの果ての導き手、それはロマンの発端にして、もう会うことが叶わない、父親の幻影、たどり着きたかった、その背中。無音の中にできた雷の道。彼に何の加護があって進めるのかは分からない。でも彼はそれを進んでいく。彼は不思議にも、作中でこのときのことを一切語らないんです。そしてたどり着いた何か。
それが天空の城、ラピュタ。
そう、今彼は自らの夢にたどり着き、自分の足でそれを踏みしめた。実在を証明したのです。ラピュタは本当にあったのだと、父さんは詐欺師ではなかったと。彼にとってその存在自体が憧れた宝なんです。バカどもの目くらましもどうでもよく、ラピュタの科学力もどうでもよかった。彼は誰よりも純粋にラピュタに存在して欲しかった。
苦しい夜に何度も願っていた。ラピュタはあると。信じようとして信じきれなかったかもしれない。そんな自分に嫌悪を感じたかもしれない。ラピュタはあると自分に言い聞かせたと思う。彼の夢は、彼自身との戦いでもあったはずなのです。ラピュタを信じ抜くという戦い。その戦いに彼は、この時点でもうすでに勝ったのです。
ですが彼にとっての夢の地は、すでに滅びた王国の墓標でした。その上でバカどもによって始まる略奪、虚しい王政復古、奪われるシータ。愚かしい戦いが始まる。いいですか。ここで彼の考えがシフトしていると思うんです。よく聞いてください。ラピュタに行きたい、シータを助けたい、から、飛行石を取り戻す、シータを助けにいく、ラピュタを守る、に変わっていると思いませんか。そう、彼はもう甘ったれ小僧ではない。そういうことは自分の力でやるようになっているのです。だから聞いてください。ここを聞いてください。ドーラの言葉を。
「へっ! 急に男になったね」
海賊加点50! もうドーラも認めざるを得ない、いっぱしの男にパズーはなったのです。だからこそ彼はIQ300の特務の青二才とも対等に渡り合い、飛行石を手に入れ、シータにたどり着く。終点が玉座の間とは上出来です。見えませんか。虚偽の王と、正当なる王女、そして彼女を守る強い男の姿が。あぁ、パズー。
彼はたどり着いたんです。思えば彼は翻弄された人生でした。父親に翻弄され、シータに翻弄され、海賊に、軍隊に翻弄され、何よりも自分のロマンに翻弄されて、ここまでたどり着いた。たどり着き、分かった。ここが終点だと。では死を賭すことが終点だと覚悟したのか? そうじゃない。たぶんそうじゃないんです。それも当然あるけど、そうじゃない。もっと直截的な、もっと純粋なものに突き動かされていると思うんです。
それを、僕のたった一言で言うのはとても怖い。僕の中の全部の語彙を寄せ集めても全然足りない。たぶん間違ってる。でもそれをあえて言うのであれば。僕がラピュタを愛した年数をかき集めて、言葉を紡がせてもらうのであれば、「使命」、と、僕は言いたい。天空の城ラピュタは、成長と使命の物語だと思う。
だからこそ、だからこそ、ここでのパズーの一言は胸を打つのです。ここが僕のラピュタにおける最高のシーンなんです。それは自分の歩いてきた道を、成功や挫折、笑顔や涙、日常や非日常、彼がそれらすべてをひっくるめて、過去にしたからなんです。成長し、乗り越え、使命を帯びた一言だからなんです。それがこの一言なんです。
「おばさんたちの縄は、切ったよ」
この一言に価値があるのは、極限状態での優しさだからか。そうじゃない。当然そうだけどそれだけじゃない。シータを促し、一緒でいることを誓うからか。そうじゃない。当然そうだけどそれだけじゃない。
この一言は、パズーが、過去を認めた瞬間なんです。これは、貧困や仕事、ロマンや大人、そういう翻弄されていた全ての過去を認め、解き放たれたパズーの、パズーそのものからの、むき出しの言葉だから価値がある。だからこそ余計に優しい。だからこそ本当に強い。それはパズー本来の言葉だから。
でもどこか上の空で、唐突なんです。成長とは、見方を変えると、失うことでもある。使命とは、見方を変えると、捨てることでもある。男として成長し、使命を得た彼にはもう自分の行動が見えている。だから彼を見守っていた僕たちには、唐突に見えて、それでいて核心を突いた言葉に思えてしまう。言い方を変えさせてください。パズーはこの時、やっと金貨を捨てられたんだと思う。心の中に、もっと確かなものを置くことができたから。
だから、このシーンが僕の天空の城ラピュタにおける最高のシーンです。
長く語り過ぎた。でも語ったようで、まだ足りない。天空の城ラピュタにおける僕の好きなシーンと、その理由が少しでも伝わりましたか。皆さんの好きなシーンはどこですか。僕はこのシーンを思い出すだけで、あと一歩、人生を頑張ることができる。そういう尊い一瞬を僕も心の中に集めて進んでいきたい。
ところで「バルス」の意味は「閉じよ」みたいですね。「滅びよ」とか「壊れろ」とかではない。いかにも青春の冒険活劇、成長の最後の言葉にはふさわしいと思いませんか。
バルス、2018。バルス、正月休み。