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雨の日の小さな後輩に

初めて入った体育館の並べられた椅子に、かしこまって座るまだ小さな君の背中を見ながら、お父さんは「大人になるってなんだろな」なんてことを考えていたよ。

お父さんはこの入学式自体にグッと来ることは特になかったのだけれど、その代わり、君の生まれたときのことなんかを思い返してたりした。そういう意味ではまんまと入学式のセンチメンタルな空気にあてられたんだろうね。

君の生まれた日は今日と同じやっぱり雨で、思い返すに君とのイベントごとにはだいたい雨に悩まされているね。雨男と雨女の属性は生まれた日に決まるんじゃないか、と心の中で仮説を立てたりしているよ。

君が生まれた日に涙が出たとかは、お父さんはやっぱりなかったよ。世の中のお父さんは泣くらしいと聞いていたので、もしや自分にもそういう感情爆発が起こるのではと思ってたりしてたけど、涙の気配は全然なかった。心が砂漠なのかもしれないね。

ただ、君を初めて抱っこしたときの、雨の音をまだ覚えてる。どう抱っこしていいか分からない物体だったのに、ただ、この世で最も神聖なものが腕の中にあるってことは分かった。君は落ち着いていて、雨の音は胎内の音と似ているっていうからかな、なんてことを思った。

変なこと言うけれど、お父さんは父である前に、人生の先輩でありたいとずっと思っているんだよ。そりゃそうだよね、当たり前なんだけれど、人生の先輩でいようって思っているのは、「父」みたいになぜか永遠に追いつけない存在じゃなくて、お父さんがいまいる場所は「未来で君がいるかもしれない場所」だって思っておきたいんだ。

お父さんのお父さんも、お父さんのお母さんも立派な人だよ。いまの君なら分かるよね。お父さんが子供のころから、周りの大人たちはみんな立派な人だったよ。でもね、あんまり楽しそうじゃないな、って思ってしまっていたんだ、子供のころのお父さんは。

大人になって仕事を始めて、結婚したりして、家族を持ったりすると、なんで友達と遊ばなくなるんだろう、なんでテレビばっかり見てておもちゃで遊ばなくなるんだろう、外で思いっきり遊ばなくなるんだろう、なんで愚痴が出てくるんだろう、なんで毎日同じことをしているんだろう。

そういう未来が来るんだよって背中で伝えてしまっていることを、人生の先輩としてどう考えているんだろう。そんなことを子供のお父さんは思ってしまっていたよ。嫌な子供だったと思うよ。本当に周りは立派な大人たちばかりだったのにね。

だからお父さんは人生の先輩として、いつも気をつけていることがあるよ。「もっと遊ぼう」とかじゃなくて。それはね、「人生にはいいことがある」って姿勢でいること。大人になるのも悪くなさそうって君に思ってもらえるように、お父さんは「人生にはいいことがある」っていつも思っているよ。

だからこの6年間ちょっとの間で色々あったけれど、少なくとも君にとっても悪くなかったんじゃないかな。雨音をたどって、本当に色々なことがあったよね。どう? お父さんは人生を楽しんでそう? 大人になってもいいかなって君は思えてる?

体育館があまりに寒くて、あまりに薄着で来てしまったお父さんは、実はお腹が痛くなってしまっていたよ。ちゃんと座っていた君は大丈夫だった? 他のお父さんはみんなスーツでネクタイを締めていたし、お母さんたちの中には着物で来ている人もいたね。お父さんは若干カジュアル過ぎた。

入学式を見ていて、「大人になる」ってことはさ、たぶん「いいと思えることが増える」ことなんだと思ったよ。君は正直、この入学式で大人たちが言っていることを全部理解できてないと思うし、いいかどうかも分からないと思う。

ただお父さんは「いいな」って思っていたよ。君の少し大きくなった姿と、友達になってくれるであろう子たちの顔を見れて。お腹は痛かったけれどね。世の中の人が関われるほとんどのことは、たぶん、少なくとも誰かが「いいな」って思ってるから起こってる。

この入学式も、小学校も、勉強も、運動も、工作も、受験も、音楽も、美術も、趣味も、友情も、恋愛も、家族も、仕事も、社会も、そして犯罪も、戦争だって、少なくとも誰か一人はそれでいい、それがいいと判断したものでできあがってる。

実はこの小学校はお父さんも子供のころ通っていたところなんだ。だから君がいま、傘をさして頼りなさそうに歩く場所を、お父さんは昔走り回っていたから知ってる。この先にたくさんの「いいな」があることも知ってる。いいことばかりじゃないことも、もちろん知ってる。

たくさんの、健全な「いいな」を見つけられる心が君の中に育って、「人生って、大人になることって、いいことだな」って君にも思ってもらえることを、人生の先輩は願っているよ。